第六の環

第六の環「環境問題は産業の新たな挑戦である」1

 エコロジーはごく最近の発明である。三〇年来、それは環境保護派が唱えるだけのものだった。ひとは日曜にエコロジーを笑い飛ばし、月曜には汚染されたといわれる空気を胸に深々と吸い込んだものである。だがついにエコロジーがわれわれを捕らえた。それは夏の定番ソングのように電波を席巻している。その理由は、一二月なのに気温が二〇度にも達するから、というものである。
 海洋魚のうち四分の一の種が絶滅した。残りの種もそう長くはもたないという。
 鳥インフルエンザへの警戒。当局は飛来する数十万の渡り鳥を撃ち落とすと確約した。
 母乳の水銀含有量は、牛乳におけるその含有基準値に比べて一〇倍も高い。りんごを皮ごとかじると唇が腫れる。そのりんごは朝市で買ったものなのに。ごくささいな行為が有毒なものとなった。「長患い」の末に三五歳で死ぬ時代なのである。だがそれもすべてのことと同様、マネジメントの対象にされていくだろう。手遅れになる前に、応急処置センターに運ばれる前に、結論を引き出しておくべきだったのです、云々。
 白状せねばならないが、騒々しく叫ばれるこうした「カタストロフ」にわれわれは何の関心も持たない。少なくとも、予期されている結果のひとつにでも見舞われないうちは。「カタストロフ」はわれわれに関係しているだろうが、われわれの関心を引かないのである。まさしくここにカタストロフがある。
 「環境のカタストロフ」は存在しない。あるのは環境というカタストロフだけである。環境とは、すべてを失った人間になおも残されたものである。下町や路上や谷間に暮らす人びと、戦争に生き、作業場で生きている人びとは「環境」を持たない。彼らが動き回っているのはひとつの世界であり、そこは現前や危険、友と敵、生の瞬間と死の瞬間といったあらゆる種類の存在に満たされている。世界とは固有の一貫性を有するものであり、その一貫性は、われわれをそうした存在や場所に結びつける絆の強度や質によって変化していく。他方、環境を持つことができるのは、究極の剥奪状態に置かれた子供たち、最後の亡命者であるわれわれ――鉄筋コンクリートのなかで生まれ、スーパーマーケットで果物を収穫し、テレビの前で世界のこだまを待ちわびる、このわれわれしかいない。われわれだけが、たんなる雰囲気の変化であるかのように自分自身の絶滅に立ち会うのだし、刻一刻と進行する荒廃に憤りつつ、それについての百科事典の作成に没頭するのである。

 環境として固着しているもの、それはマネジメントにもとづいた世界との関係、つまり疎外にもとづいた世界との関係である。そうした関係においては、われわれを構成するものが、木々のざわめき、建物から漂う揚げ物のにおい、水の流れ、学校から聞こえてくるクラスの騒々しさ、夏の夜の汗ばむような湿っぽさでもあるという考えは斥けられる。存在するのは私と環境だけ、ということになる。環境は私を取り巻くが、私を構成することはあり得ない。われわれは地球の共同所有者たちの集会に列席させられている。これほど完全な地獄もないだろう。
 現在のメトロポリスほど「環境」の名にふさわしいものはなく、いかに物質的な世界であれ、かつてその名に値するものはなかった。デジタル音声によるアナウンス、路面電車が発するかくも二一世紀的な警笛、巨大なマッチ棒のような街頭が放つ青白い光、失敗したファッションモデルのような厚化粧の歩行者、音もなくわれわれをうかがう監視カメラ。地下鉄の自動改札やスーパーのレジ、オフィスのタイムカードが鳴らす音、ネットカフェの電子的な雰囲気、プラズマスクリーンやラテックス素材の氾濫、あたりを埋めつくす自動車専用道路。装飾が、そこを横切る精神をこれほどまでに必要としなくなったという事態は前代未聞であり、生活状況がこれほど自動的になったこともなかった。また、文脈がかくも無関心にさらされ、その代償として、生き延びるために同じだけの無関心が要求されるということもなかった。結局のところ環境とは、メトロポリス特有の世界との関係のことであり、メトロポリスはそこを逃れていくものすべてにみずからの姿を投影するのである。

 現状はこうである。つまり、われわれの父親世代がこの世界を破壊するために雇われていたのに対し、われわれの世代は、この世界を立て直すために働かされようとしている。それでなおも利益を生み出さねばならない。地球温暖化についての新たな証拠が見出されるそのたびに、ジャーナリストや広告業者は病的に興奮しているが、その裏ではグリーン・キャピタリズムがほくそ笑んでいる。この新たな資本主義の徴候はすでに一九七〇年代には現れていたが、すぐさま登場することはなかった。むしろ人びとはそれを袋叩きにしてやろうと待ち構えていたのである。だがそのグリーン・キャピタリズムはいま世の中を席巻している。エコロジー、これが新たな資本主義の別名である。オルタナティブな解決然り、「地球を救う」も然り。エコロジーは疑いようもなく時代の空気であり、環境問題は二一世紀の政治経済の中心に据えられていくだろう。すでに、破局論が持ち上がるそのたびに「産業的な解決策」が次々と打ち出されていくあり様なのだから。
 水素爆弾の発明者エドワード・テラーは、気候温暖化を食い止めるために、何千トンもの金属微粒子を成層圏に噴射することを提案している。他方で、ミサイル防衛シールドという壮大な計画を、冷戦時代のファンタスマゴリーを集めた博物館〔スミソニアン航空宇宙博物館〕に陳列しなければならなくなったことに不満を抱いていたNASAは、いまや有害となった太陽光線からわれわれを防衛すべく、月の軌道の外側に巨大な鏡を設置すると公言している。さらに別の未来のヴィジョンによれば、人類はサンパウロからストックホルムまで、バイオエタノールを燃料として移動するのだという。パリ盆地南部ボース地方の穀物農家にとっては夢のような話だろう。すなわち、耕作可能な地球上のあらゆる土地を大豆とビートの畑にしてしまうというのである。またオピニオン誌のグラビアページには、エコカー、クリーンエネルギー、環境コンサルティングが、シャネルの広告と難なく同居している。
 いわく、環境問題が重要なのは、それが人類にはじめてグローバルな問題を提起することができたからである。グローバルな問題とはつまり、グローバルな組織だけが解決策をにぎる問題ということである。その組織が何者であるかは周知のとおりだろう。それは一世紀も前から先頭に立って自然破壊を推し進め、わずかなロゴの手直しだけで今後も先陣をつとめようとしている諸々の企業グループにほかならない。フランス電力2は恥知らずにも、世界的なエネルギー危機への新たな解決策として、かつての原子力計画をふたたび持ち出そうとしているが、このことは、新たな解決策と呼ばれるものが、古くからの問題となんら変わらないことを示している。
 国務長官室からオルタナティブ・カフェの控え室まで、関心事は同じ言葉で語られている。いまに始まったことではないが、問題とされているのは自発的な動員である。ただしそれは、戦後に呼びかけられた復興のための動員ではないし、一九八〇年代のエチオピア人のための動員3でも、一九九〇年代の雇用のための動員でもない。今回は環境のための動員なのである。環境はあなた方の尽力に感謝するだろう、と。フランスにおいて、アル・ゴアやニコラ・ユロ4的なエコロジーや脱成長は、不滅の共和国精神として祭り上げられた。かくして左翼小市民はふたたび活気づき、若者特有の理想主義はかき立てられる。自発的に禁欲に励み、われわれに「来たるべきエコロジカルな緊急事態」を受け入れさせようとボランティア活動に乗り出すのである。彼らが押し付けてくるのは粘着質の塊のような罪悪感であり、それはわれわれの疲れきった両肩に重くのしかかる。連中が望むのはわれわれが自分の庭を耕し、ゴミを分別すること、連中にとって忌々しいわれわれの饗宴から出た残飯をコンポストすることである。
 放射能の漏出、大気中の二酸化炭素の超過、氷山の溶解、ハリケーン、疫病の蔓延、世界的な人口過剰、自然破壊、生物種の大量絶滅、これらをマネジメントすること。これが、われわれに背負わされた重荷の内訳であるらしい。連中は言う。われわれの卓越した文明モデルを救いたければ「各自がふるまいを正さねばならない」。これからも消費するために消費を減らし、これからも生産するためにオーガニック商品を生産し、これからも規制するために自己規制すべきであると。こうしたロジックに立脚して、現行の世界は歴史的断絶を装いながら生き永らえようとしているのであり、かくしてわれわれは、いわゆる「産業界における今世紀最大の挑戦」に参加させられようとしているのである。呆然とするあまり、われわれは荒廃からの脱出を求めて、その荒廃を推し進めた当人の庇護を求めてしまうことにもなりかねない。

 エコロジーはたんに総合経済のロジックであるのみならず、資本の新たな倫理でもある。目下、システムが内在的な危機状態にあり、過酷な選別が進行しているのは、そうした選別を正当化する規準があらためて必要になったということである。いつの時代も、徳行が謳われるのはきまって悪行が発明されたときであった。たとえば、食品産業がふたつに分かれているという今日の状況はエコロジーなしには正当化されない。ひとつは「健康でオーガニック」な食品であり、富裕層とその子供向けである。もうひとつは、有害なことが明白な食品であり、肥満が約束された下層民とその子供に向けられている。また、惑星上のハイパーブルジョワは、彼らの最新の気まぐれが「環境に配慮した」ものであることを綿密にアピールする。そうしなければ、彼らの暮らしぶりに尊敬を集めることなどできないからである。さらにエコロジーは、管理体制の法外な強化に対するさまざまな異議申し立てを黙らせるための権威として持ち出される。
 トレーサビリティ、情報の透明性、エコ認証、環境税、卓越エクセレンスした環境配慮、水質警備。これらすべては、到来しつつあるエコロジカルな例外状態がどのようなものであるかを予測させる。すなわち権力は、自然、健康、福祉を引き合いに出せば、すべてが許されてしまうのである。
 「経済と行動についての新たな文化が習慣化すれば、強制的な措置はおそらく自然と弱まっていくだろう」。これほど冷やかな主張を行ない、「地球の痛み」を感じてみずから行動せよなどと呼びかけ、われわれを麻痺状態に陥れ、おとなしく茶番劇に付き合わせようとする。こうしたことができるのは、テレビで見かけるあの愚かで恥知らずな冒険家〔ニコラ・ユロ〕くらいのものだろう。新しいエコロジカルな禁欲主義、それは自己管理のことである。自己管理が万人に求められているのは、窮地に追い込まれたシステム自体を救済するためである。つい先日まで、節約することは経済の名のもとに叫ばれていたのだった。今日、それはエコロジーの名において叫ばれている。たしかに、自動車道路はサイクリングロードに変えられていくだろう。さらに将来、フランスにおいて所得保障が得られる日が来るかもしれない。ただしそれは、完全にセラピー的な生を受け入れる代償としてでしかないだろう。自己管理が全般化すれば、われわれは環境的な独裁政治を耐え忍ぶ必要がなくなるという連中がいるが、それは嘘である。自己管理は独裁政治を準備するのであり、われわれはいずれそのふたつを招くことになる。
 「人間」と「環境」がある限り、両者のあいだにはつねにポリスが存在する。

 エコロジストたちの言説はすべてひっくり返さなければならない。たとえば、諸存在と事物をマネジメントする現行の管理体制の暴走を指して、エコロジストは「カタストロフ」と呼ぶ。しかしわれわれには、管理体制が完璧に機能しているというカタストロフしか見出せない。またエコロジストによれば、一八六七~七九年にかけて熱帯地方で発生した大飢饉は、世界規模の干ばつと同時期に生じたという。だがその大飢饉はなによりもまず、植民地化のピークと時を同じくしていた。植民地政策が農村世界と地域に根ざした食物実践を破壊し、食糧不足に対処する方策が絶たれてしまっていたのであり、熱帯地方全域を何百万ものやせ細った死体で埋め尽くしたのは、水不足以上に、当時拡張の一途をたどっていた植民地経済の影響だった。いかなる場所であれ、生態系のカタストロフとして現れてくるもののうちに露呈しているのは、なによりも世界との災厄に満ちた関係なのである。われわれは住まうことを知らないために、わずかなシステム障害や気候変動にも対処できないほど脆弱になってしまった。最近の津波もそうである5。津波が接近するあいだ、島の狩猟採集民たちは鳥が飛び立つのを見て海岸からすばやく退散したのに対し、観光客はあいかわらず波間で浮かれ騒いでいた。現今のエコロジーが抱える矛盾とは、地球を救うと言いながら、じっさいはこの惑星を荒廃状態に陥れた当人しか救わないという点である。
 世界がこれまでどおり規則的に動いていくことで、本当の意味でカタストロフィックであるわれわれの剥奪状態が覆い隠されてしまう。「カタストロフ」と呼ばれるものは、そうした剥奪状態が強制的に中断されるという事態であり、それゆえ、世界においてわれわれが何かしらの地歩を取り戻すことができる稀有な瞬間のひとつなのである。だから、石油などさっさと尽きてしまえばいいし、メトロポリスのテンポを維持している国際的なフローなど中断されてしまって、社会が大規模な錯乱へと突き進めばいい。「人びとの野蛮への回帰」や「惑星規模の脅威」や「文明の終焉」を切に願う! コントロールの失調は、たとえそれがどんなかたちを取るにせよ、危機のマネジメントというシナリオよりは望ましい。したがって、持続可能な開発を主張する専門家どもに有益なアドバイスを求めるべきではない。問題を解消してくれる理論的な回答のいくばくかが見出されるのは、システムの機能不全やショートにおいてである。京都議定書を批准した国のうち、現時点で公約要件を満たしているのは、はからずもウクライナとルーマニアだけである。その理由を考えてみてほしい。「オーガニック」な農業にかんして世界でもっとも進んだ実験が行なわれているのは、一九八九年以降のキューバである。なぜかは考えれば分かることである。自動車工学が大衆芸術の域までに達しているのは、他でもない、アフリカの未舗装道路を走る車である。理由はあなた方の推測にゆだねよう。
 危機において環境は環境であることをやめる。このことが危機を望ましいものとする。われわれは、たとえ致命的な結果を招こうとも、そこにあるものとの関係を結び直し、現実のリズムを取り戻すほかはない。われわれを取り囲んでいるものは、もはや景色でもパノラマでも劇場でもなく、われわれが住まうべく与えられたものであり、それは、われわれが妥協点を見出しつつ学んでくことのできるものである。われわれは「カタストロフ」の中身を引き起こした連中のために道を誤ったりしない。経営者たちが「計画を台無しにすること」なくどのような方向転換をはかるかという観念的な議論をするあいだ、われわれは現実的な選択を行なう。すなわち、できるだけ早く「計画を台無しにすること」、われわれの力を増大させるために、そこかしこで生じているシステムの崩壊を利用することである。これ以外にない。

 ハリケーン・カトリーナが去って数日後のニューオリンズ。その黙示録的な雰囲気のなか、人びとの生があちこちで新たに自己組織化される。公権力は貧しい住民の援助に駆けつけるよりも、「フレンチクウォーター」と呼ばれる観光スポットの片づけやそこに並ぶ店舗の保全作業に専心していた。公権力のこうした無策を前に、忘れ去られていた作法が復活する。被災地から住民を追い出そうと強制退去が仕掛けられ、白人至上主義者が自警団を組んで公然と「黒人ニガー狩り」を行なったが、多くの人びとは土地を離れようとしなかった。「環境難民」として合衆国のあちこちに追放されることを拒んだこれらの人びと、また、元ブラック・パンサー党員による呼びかけに連帯し、いたるところから被災者のもとに駆けつけた人びとにとって、自己組織化が自明のこととして蘇ったのである。数週間のうちにコモングラウンド診療所6が設営された。このまぎれもない診療所には、ボランティアが途切れることなく押し寄せ、初日からすぐれた医療を無料で施しつづけた。あれから一年、アメリカ政府は診療所が置かれたその一帯を、開発業者の餌食とすべくブルドーザーで更地にしようとしているが、診療所はそうした政府の作戦に対する日常的な抵抗運動の拠点となっている。炊き出し、食料や物資の提供、街頭での診療、スクウォット、仮設住宅の建設。人びとの生活のなかに蓄積されていた実践的な知の総体が、この地で発現されたのである。それはお仕着せの労働や号令からかけ離れたものだった。
 カタストロフ以前から、ニューオリンズのその地域には、持たざることの悦びがみなぎっていた。そこには国家に対する不信がかねてから充満しており、難局を切り抜けるための集団的実践がさまざまに行なわれてきた。これらのことを知る者にとって、ハリケーン後の状況の実現は驚くべきものではない。逆に、砂漠のような住宅街で、細分化され活力を失った日常のなかに捕獲されている者にとっては、そうした毅然たる態度が存在するということ自体がいぶかしく感じられるだろう。にもかかわらず、長年の規律化された生活のなかに埋もれている決然たるみぶりを取り戻すことこそが、この世界とともに失墜してしまわないための唯一実行可能な方法なのである。そして陶酔のときの来らんことを。


  1. 元フランスの水道事業公社、現在「水ビジネス、環境ビジネス」メジャー企業グループであるヴェオリア・エンバイロメント社の広告キャンペーン。ヴェオリア・トランスポール、ヴェオリア・エナジー、ヴェオリア・エンヴァイロメンタル・サービス、ヴェオリア・ウォーターなどが傘下にある。

  2. フランス電力(EDF)は二〇〇四年に民営化されたフランス最大、世界第二(時価総額ベース)の規模を誇る電力会社。同社の発電力の約九〇パーセントは原子力発電による。

  3. 一九八四~八五年にかけてエチオピアで大飢餓が発生し、約百万人もの死者を出した。これにさいして世界各地で多くのチャリティイベントが行なわれ、その一環としてイギリスでは「バンド・エイド」、アメリカでは「USA・フォー・アフリカ」が組織された。

  4. ニコラ・ユロは環境活動家。自然派番組のキャスターとして人気を博し、二〇〇七年の大統領選では候補者たちに自身が提唱した「自然環境協約」に署名させるなど影響力を示した。

  5. 二〇〇六年七月一七日、ジャワ島南西部沖地震の影響で発生した津波のこと。とりわけ被害の大きかった海岸はリゾートビーチであったため外国人観光客を含め多くの死傷者を出した。

  6. ニューオリンズの活動家で、ブラック・パンサーの元党員マリク・ラヒムはライフラインの断たれたニューオリンズの住民に対する救援策の遅れを批判し、コモングランド診療所の設立に関わった。なお本書英訳版においては註が付され、ニューオリンズの事情に必ずしも精通していない可能性のあるフランスからの見解に修正が加えられている。「北米ではコモングラウンド診療所は批判されてきた。その活動は正常状態への回帰ヘ向けてギアを入れていたからである。つまり、すべてが正常に機能することをコモングランドは目指した。それは明らかに従来の政治の枠組みに収まるものである。コモングランドの創設者、マリク・ラヒムはこのプロジェクトを二〇〇八年の国会選挙に出馬したさいに選挙運動に利用したが、落選に終わる。また、コモングランドの代表者の一人であったブライアン・ダービーは、FBIへの情報提供者であったことが後に明らかとなった」(The Coming Insurrection, p.55)。なお英語版は以下のサイトからダウンロードすることができる。 http://tarnac9.wordpress.com/texts/the-coming-insurrection/

0 件のコメント:

コメントを投稿