第五の環

第五の環「より少ない財でより多くの関係を!」1

 三〇年にわたる大量失業と「危機」と成長の停滞をへてもなお、連中はわれわれに経済を信じさせようとしている。たしかに、この三〇年はひと続きではなく、いくつかの幕間狂言によって区切られてきた。一九八一年から八三年までの幕間劇では、〔社会党ミッテラン大統領による〕左翼政権の誕生がフランス国民を幸福にしてくれるだろうという幻想があった。拝金主義時代(一九八六~八九年)には、皆が実業家や小口投資家となって金持ちになるはずだった。インターネット時代(一九九八~二〇〇一年)には、ネットに接続しているかぎり、われわれは仮想上の職を見つけることができるはずだった。多人種で構成されながらひとつにまとまったフランスは、他文化的で教養があり、すべてのワールドカップを制覇するはずだった。だがいまや、幻想の貯えは消費され、底をつき、われわれは無一文になってしまった。さもなければ借金にまみれている。
 そしてやっと気づいたのである、経済が危機にあるのではなく、経済そのものが危機であると。足りないのは仕事ではなく、仕事こそ余計であると。よく考えてみれば、われわれを憂鬱にさせるもの、それは危機ではなく、経済成長のほうである。白状せねばならないが、株式相場の数字の羅列は、ラテン語のミサとほとんど同じくらいわれわれを感動させる。とまれ幸いにも、少なからずの者が以上のような結論にたどり着くことができたのだった。
 われわれが問題にしたいのは、さまざまなペテンやあらゆる種類の裏取引によって生活している者のことでも、一〇年来RMI(社会復帰最低所得保障)で生活している者のことでもない。もはや仕事と自分を同一視することなく、余暇のために余力を残しておく者についてでもないし、重要なポストから外された者、安全な立場に逃れた者、最小限のことしかしない大多数の者についてでもない。年金生活が模範とされる一方では、フレキシブルな労働力が臆面もなく過剰に搾取されている。こうした光景があの奇妙な大衆の無関心をいっそう募らせているが、われわれは、そうした無関心にいまさらながら衝撃を受けている者も相手にしない。以上のような人びとは、われわれが語らずとも、何らかの方法で同じような結論に行き着くはずだからである。
 われわれが問題にしたいのは、IMF(国際通貨基金)の連中を乗せたボーイング旅客機が上空を喧しく飛来するのを眺めた人びと、少しばかり世界銀行の金に手を出したために、経済への信仰をなくすことになったあらゆる大陸のあらゆる国々についてである。そうした国々では、西欧において経済を徐々にむしばむ就労意欲の低下などといった問題はまったく意味をなさない。ギニア、ロシア、アルゼンチン、ボリビアといった国で生じているのはむしろ、経済という宗教と、その教えを説くエコノミストという聖職者たちの急激かつ長期におよぶ信用の失墜である。「一〇〇〇人ほどのIMFのエコノミストの死体が海底に沈んでいる。これは何か――よい兆しだ」。世界銀行について人びとはこうした冗談を交わす。ロシアではこうだ。「ふたりのエコノミストが出会った。一方がこう尋ねる。『いま起きていることを理解しているか』。他方が答えて『まあ、説明してやろう』。『いやいや』と一方がさえぎる。『説明することは難しくない。私だってエコノミストだからね。聞きたいのはこうだ。つまり、きみは理解することができているのか』」。当のエコノミスト、つまり経済に奉仕してきた聖職者たちはいっせいにみずからを反主流派と言い張り、ドグマを批判するふりをし始めた。いわゆる「経済学」においてにわかに活気づいている最近の潮流は、冗談ぬきで「反自閉的経済学」なるものを標榜し、新たな務めを自任している。従来の経済学における唯一の明白な役割が、支配層がひねり出した愚案のかたわらで聖体顕示台をかざし、発せられる服従への呼びかけに若干の仰々しさを添え、さらには宗教のつねとして数々の解釈を提供することだったのに対し、今日の経済学が唱えるのは、経済学がこれまで行なってきた詐欺、ごまかし、トリックを暴くというものである。一般に不幸というものは、それがいわれのないものと分かるや否や耐えがたいものとなるだろう。  

 金に敬意を払う者などいまやどこにもいない。持つ者も持たざる者もそれを軽蔑している。将来何になりたいかという質問に、ドイツの若者の二〇パーセントが「芸術家」と答える。労働が人間の所与の条件として耐え忍ばれることはもうない。企業の経理の人間すら、もうどこから価値を生み出したらいいか分からないと告白する。市場は圧倒的な手段を用いてその教説をはびこらせているが、それさえなければ、市場は悪評によって一〇年ほど前に壊滅していただろう。進歩の同義語が災厄であるということは、いまやどこでも常識である。
 経済の世界からすべてが漏出していく、アンドロポフ書記長2時代〔一九八二~八四年〕のソヴィエト連邦からすべてが漏出していったように。ソ連末期について少しでも調べたことのある者ならたやすく理解できるだろうが、われわれの指導者たちが叫ぶボランタリズムへの呼びかけ、進むべき方向も見失っているのに将来への期待感だけは高まるというこの状況、あらゆるものを「改革」するなどという政治家たちの公約、これらはすべて「壁」崩壊の徴候と同じものである。社会主義圏の崩壊は資本主義の勝利を永続的なものとしたのではなく、結局のところ、ふたつの資本主義体制のうちのひとつが破綻したことを告げるものでしかなかった。そもそも、ソヴィエト連邦を崩壊に導いたのは民衆の叛乱ではなく、ノーメンクラツーラ(旧ソ連型社会主義における特権階級)の政策転換であった。社会主義の終焉を宣言することによって、一部の支配階級はまず、それまで彼らを民衆と結びつけてきた時代遅れなあらゆる義務から免除された。彼らは、万人の名のもとに自分たちがすでに管理してきたものを、あらためて私的に運営するようになる。人びと工場で話していた。「奴らはわれわれに支払うふりしかしない。ならば、われわれだって働くふりをしようじゃないか」。それに対するオリガルヒ(ロシア新興財閥)の答えはこうだった。「それならそれで構わない、偽善はもう終わりだ!」連中には原料資源、産業インフラ、軍事・工業コンビナート、銀行、ディスコが与えられる。他方で大多数の者には貧困と亡命しか残されていない。
 アンドロポフ書記長時代のソ連において、経済はすでに信じられていなかった。その状況は今日のフランスにも当てはまる。現在のフランスにおいて、経済に対する不信は、会議室、作業場、オフィスにまで蔓延しているのだ。「それならそれで構わない」と経営者や政府は答える。彼らはもう「経済の過酷な法則」をわざわざ緩和しようともせず、工場を夜のうちに移転する。従業員が工場閉鎖を知るのはその翌朝である。連中はストライキを阻止するために国家特殊憲兵部隊3(GIGN)を投入することも厭わない。これは国営コルシカ地中海フェリー4のストライキのさいに為されたことであり、また二〇〇六年にレンヌの郵便物仕分局が占拠された[^訳注5]ときの光景である。現行権力による凶暴な破壊活動の全容とは、破綻を管理経営しつつ、「ニューエコノミー」の基礎を打ち立てることなのである。

 それにしても、われわれはあまりにも経済に順応してしまった。数世代にわたって規律を叩き込まれ、骨抜きにされた挙句、当然のごとく生産的で消費することに喜びを覚える主体へと作り変えられてしまった。しかしここにきて、われわれが忘却しようと努めてきたことがふたたび明るみに出ようとしている──経済とはひとつの政治であるということが。現在、経済という政治が推進しているのは、全体として余剰になった人類を選別することである。そもそもコルベール5からナポレオン三世6をへてド=ゴール7にいたるまで、国家はいつも経済を政治として構想してきた。したがって経済とは、ブルジョワが利益を引き出し、プロレタリアがそれに敵対するというだけではない。じっさい、大部分はプチブルというあの奇妙な人口の中間層、態度を決定しない者たちの無力でやじ馬的な集合体である。プチブルは、いつでも経済をひとつの現実として信じるふりをしてきた。そうすることでその中間的態度を保持してきたのである。フランスにおいて、小商店主、中小企業経営者、下級公務員、管理職、教師、ジャーナリストといったあらゆる種類の中間職は、非階級的な存在である。彼らは大文字の「歴史」とその喧騒から離れて、さもしい私生活を送ることだけを考えている。あのぶよぶよした社会的社会的ゼラチン層をなしているのはそうした者の集合にほかならない。このプチブル的湿地帯は性質上、虚偽意識の権化であり、寝ぼけたままの彼らはどれほど熾烈な闘争が周囲で起きようと、即座に目を閉ざしてしまう。
 だからここフランスでは、最前線の闘争が掲げられるたびに、珍案が次々と飛び出してくる。ここ一〇年での珍案といえばATTAC8であり、ATTACが提唱するあの突拍子もないトービン税9である。その導入のために要請されるのは世界政府の創設以外の何物でもなく、そこには、金融市場に対する「実体経済」の擁護、国家に対する感傷的なノスタルジーといったものが随伴する。芝居は続くだけ続いたのち、とんだ茶番劇として幕を下ろす。気まぐれを重ねた結果、彼らがたどり着いたのは脱成長なるアイディアだった。ATTACがその市民との勉強会をとおして経済を科学として救済しようとしたとすれば、脱成長という発想は、経済を倫理として救済しようとする。現在進行中の黙示録にとって代わる唯一の選択肢は、生産を減らすことだというわけである。より少なく消費し、より少なく生産すること。喜んで質素に甘んじること。有機ビオ食品を食べ、自転車を利用し、煙草をやめ、購入する商品を厳しくチェックすること。必要最小限で満足すること。自発的な簡素さ。「健全な世界で、友好的な社会的関係を開花させることのなかに本物の豊かさを再発見すること」。「自然の恵みを枯渇させないこと」。「健全な経済」へと移行すること。「カオスの統制を避けること」。「民主主義とヒューマニズムを危険にさらすような社会的危機を生じさせないこと」。要するに、倹約家になること、プチブルの黄金期、一九五〇年代の父親たちの経済に立ち戻ることである。「ある個人が倹約家になると、彼の所有物は完璧にその役割を果たすようになる。それによって、彼は公的実存から逃れて、自分の生活という私的な囲いのなかで固有の人生を謳歌できるようになる」。

 ハンドメイドのセーターを着たグラフィックデザイナーが、友人たちに囲まれ、エスニックカフェのテラスでフルーツカクテルを飲んでいる。饒舌で、互いにさりげなく心を配り、行きすぎない冗談を交わす。騒ぎすぎず、静かすぎず、微笑みながら見つめ合う。なんたる幸福感。かくも素晴らしき文明化。その後、ある者は共同庭園でガーデニングを行なう。ある者は陶芸に打ち込み、禅を実践し、アニメーション映画を製作する。彼らを結びつけるのは、高度に洗練され、このうえなく賢明で、最先端の人間性をつちかっているというもっともな感情である。それは正しい。アップル社と脱成長という考え方は、未来の文明についての意見を奇妙なほど一致させている。誰かが昔日の経済に回帰しようなどと訴えたところで、それは都合のよい煙幕であり、陰ではテクノロジーを急成長させようとする別の者たちの企みが進行している。なぜなら大文字の「歴史」において、厳密な意味での回帰は存在しないからである。昔に戻ろうという奨励は、いつでもその時代の意識形式のひとつでしかなく、さらには最高度に現代的な意識形式ですらある。脱成長という発想が、雑誌『アドバスターズ』10が押しだす反広告キャンペーンの旗印となっているのも偶然ではない。そもそも一九七二年にローマクラブ11に集まったゼロ成長の発案者たち自身、マサチューセッツ工科大学の電脳工学者サイバネティクスらの出した報告書を典拠とする、実業家と公務員のグループだった。
 こうした一致は偶然ではなく、経済に代わるものを模索せざるをえなくなった推移のひとつの現れである。資本主義は、みずからを利するため、社会的な絆のうちに存続していたものをすべて粉砕してきたが、いまでは資本主義固有の基盤のうえに新たな社会的関係を再構築しようとしている。現行のメトロポリスに見られる社会性とは、そうした新たな社会的関係の培養装置のようなものである。同じように、これまで自然界を荒廃させてきた資本主義は、目下、その自然界をセンサーによって適切にコントロールされた自然環境として再生させるというばかげた考えに腐心している。こうして刷新された人間性に対応するのがニューエコノミーである。これは、もはや生存から切り離された一領域を標榜したりせず、むしろ生存の織物、人間関係の素材たろうとする。労働は自己についての労働として定義し直され、資本は人的資本として定義される。新たな生産概念によれば、生産とは関係財を生み出すことであり、新たな消費とは状況の消費である。とりわけ重要なのは再定義された価値概念であり、それによれば、諸存在のあらゆる特質をあわせ持つことが価値とされる。構想されつつあるこうした「生経済バイオエコノミー」は、地球を管理経営すべき閉じたシステムとみなし、あらゆる生命のパラメーターを包含すると主張する科学にその基礎を置こうとする。そのような科学が到来すれば、われわれはいつの日か、国内総生産(GDP)の増加が人びとの幸福の指標とされた時代、だが少なくともそうした偽りの指標を誰も信じていなかった古きよき時代を懐かしむことになるだろう。
 「経済には還元されない生の価値を再評価する」という脱成長のスローガンが叫ばれるそのかたわらで、資本の改革計画が進行している。エコヴィレッジ、監視カメラ、スピリチュアル、バイオテクノロジー、共生。これらはすべて形成されつつある同一の「文明的パラダイム」、基盤から刷新されつつある全体経済のパラダイムに属している。その知的マトリクスを提供するのは電脳工学サイバネティクスやシステム科学、すなわちシステム管理の科学にほかならない。一七世紀をつうじて、経済およびその倫理である労働と吝嗇を人びとに徹底的に叩きこむために行なわれたこと、それは、暇人、乞食、魔女、狂人、享楽主義者、ならず者の貧乏人、つまりただ存在するだけで利益追求と禁欲の掟に反するような性質の人間をまるごと監禁し、排除することだった。これと同様に、ニューエコノミーが台頭すれば、変化に適した主体やゾーンを選良し、そうでないものを排除する選別がかならず行なわれるはずである。あらゆる徴候がカオスの到来を告げている。その到来は、われわれが無残に選別されてしまう機会となるかもしれないが、さもなければ、われわれがこの不快な企図に勝利する機会となるだろう。


  1. 脱成長のスローガン。

  2. ユーリ・アンドロポフはソ連のKGB議長(一九六七~八二年)ついで書記長(一九八二~八四年)。KGB議長として治安強化、弾圧を推し進め、書記長としては綱紀粛清と労働規制強化を図った。

  3. フランス国家特殊憲兵部隊(GIGN)はテロリスト対策、人質救出などを主な任務とする少数精鋭エリート特殊部隊であり、隊員の多くは元機動隊員により占められる。死者が出るほどの過酷なトレーニングで知られ、外国への部隊派遣も行なわれている。

  4. 国営コルシカ地中海フェリー(SNCM)はフランス海運公社。二〇〇五年に政府による民営化策が打ち出されると、SNCM労組によるフェリーの乗っ取り、マルセイユの港湾施設封鎖など長期的な民営化反対ストライキへと発展した。

  5. コルベールはルイ十四世治世下の財務総監(一六六五~八三年)で重商主義者として知られる。フランス東インド会社設立、仏領カナダ(ケベック)への植民といった政策によりフランス植民地経済の基礎を作った。

  6. ナポレオン三世はフランス第二共和政大統領(一八四八〜五二年)ついで第二帝政皇帝(一八五二〜七〇年)。彼の統治期間はフランス産業革命進展期および植民地拡張期(南太平洋、インドシナ、サハラ以南アフリカ)に該当する。また第二帝政期にはフランス初の万国博覧会開催やセーヌ県知事オスマンによるパリ大改造も行なわれた。

  7. シャルル・ド=ゴールはフランス第五共和政初代大統領(一九五九〜六九年)。大統領在任期間は第二次世界大戦後の経済復興期「栄光の三十年」(Trente Glorieuse)と重なり合う。その経済政策の基本方針はアングロ=サクソン型の自由放任主義とはことなり、国家主導資本主義である。

  8. ATTACはAssociation pour la Taxation des Transactions pour l’Aide aux Citoyens(市民を支援するために金融取引への課税を求めるアソシエーション)の略。フランスのオピニオン誌『ル・モンド・ディプロマティーク』編集長イグナシオ・ラモネのトービン税提唱案への反響により一九九八年に発足する。以後、オルターグローバリゼーション運動を担う一大勢力へと成長する。

  9. トービン税とはノーベル経済学賞受賞者ジェームズ・トービンが発案した金融取引への課税構想。投機抑制効果があると考えられ、ATTACなどによって人道的な税収の使用法が構想されている。ジェームズ・トービン自身はオルターグローバライゼーション運動の支援者ではなく、トービン税の主目的は株式市場の安定であることが言明されており、想定課税率は〇・〇五〜一%と微率である。

  10. 『アドバスターズ』はカナダ発祥の消費社会を告発する雑誌。その後世界各地で各国語バージョンが作られ、流通部数は二〇〇九年現在一二万部に達している。大企業の広告のパロディ、感謝祭シーズンに行なわれる「無買デー(Buy Nothing Day)」のキャンペーンなどで有名。消費社会を告発するうえで、企業と同じような美学、戦略を採用していることへの批判も多い。

  11. ローマクラブはエネルギー問題、国際関係、気候変動などの問題を扱うシンクタンク。フィアット社(自動車)、オリベッティ社(情報機器)で役職を歴任したイタリア人実業家アウレリオ・ペッチェイにより一九六八年に創設された。

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