第四の環

第四の環「より簡単で安全で楽しいモバイルを」1

 「都市」と「田舎」について語るのはもう止めてほしい。ましてや両者の対立などという昔話にはうんざりである。じっさい、われわれを取りまく光景は「都市」にも「田舎」にも似ていない。それは、形式も秩序もない都会的な均一の広がり、はっきりとした輪郭を持たず、無制限に広がる荒涼とした単一のゾーンである。世界のどこに行こうとも、美術館のごとき中心街や自然公園、団地や広大な農場、工場地帯や分譲地、簡易宿泊施設や流行のバーといった光景が続く。つまりメトロポリスである。古代都市や中世都市や近代都市ならばこれまでに存在しただろう。しかし、メトロポリス的都市というものは存在しない。メトロポリスは全領土の総合であろうとする。そこではあらゆるものが共存しているが、それは地理的共存というよりも、メトロポリスが形成するネットワークとしての共存である。
 現在、都市がフェティッシュの対象として崇められているのは、それが大文字の歴史と同じく、いままさに消滅しようとしているからにほかならない。リール手工業地帯の工場群はそのまま劇場として用いられ、コンクリートで打ち固めただけのル・アーブルの市街地はユネスコの世界遺産に登録された。北京では、紫禁城を取り囲んでいた旧市街の胡同フートンが取り壊されたが、物見高い連中のため、少し離れた場所に旧市街の模造が造られた。オーブ県トロワでは、コンクリートブロックでできた建物の表面に、ハーフ・ティンバー2もどきの木材を打ちつけた家屋が並んでいる。その模造のさまは、ディズニーランド・パリにあるヴィクトリア朝風のブティックを想起させずにはおかない。長きにわたって叛乱の震源地だった歴史的な市街地は、いまやメトロポリスの組織図のなかに控えめな居場所を見出した。つまりは観光と顕示的消費という役割である。そこは商売のおとぎの国であり、その維持のために年中フェアが開催され、景観の美化が主張され、そして警官隊や機動隊が導入される。たとえば、クリスマス産業のあの息詰まるような甘ったるい雰囲気を醸し出すためには、その代償として、地方自治体による警備とパトロールがいっそう厳重に行なわれなければならない。コントロールはみごとなまでに商品の風景のなかに溶け込み、商品を見ようとするまさにその瞬間に威圧的な相貌をあらわにする。現代は混合の時代であり、陳腐な音楽と、綿菓子と、伸縮式の警棒からできている。魔法は警察の監視を前提とするのである。
 現在、プチブルが下町を植民地化しようと押し寄せてきているが、連中についてまわるのは、いわゆる「本物」への嗜好と、それにともなう管理への好みである。中心街からはじき出されたプチブルが下町に求めるのは、規格住宅が立ち並ぶ郊外ではお目にかかれない「界隈の活気」である。だが、彼らはそこから貧乏人や移民を追いはらい、車を締め出し、小奇麗にする。そして細菌までも根絶することで、みずからが探し求めていたものまで打ち砕いてしまう。ある地方自治体のポスターには、清掃員が警官と握手する様子とともにスローガンが記されている。「モントーバン、清潔な街」。

 都市を破壊した当人である都市計画者たちはもはや「都市」について語らず、控えめに「都会的なもの」を語る。ならば、すでに存在しない「田舎」についてもいずれ語られなくなるだろう。じっさい、ストレスをかかえ、根なし草になった群集が「田舎」と呼ばれていたものの代わりに見せつけられるのは、たんなる風景、農民人口が希少になったことをよいことに都合よく演出される過去である。マーケティングはこうして「領土テリトリー」上で展開されていく。「領土」にあるものすべてが文化遺産とみなされ、評価の対象となるのである。どこに行っても同じ寒々しさ、同じ空虚がつきまとう。どれほど辺鄙な地に行ってもそれは変わらない。
 このように、都市と田舎が同時に死ぬということ、これがメトロポリスである。あらゆるプチブルが結集する場所、中産階級のための中庸な環境であり、メトロポリスは農村の過疎化や「アーバン・スプロール」〔郊外に宅地が無秩序に広がっていくこと〕をつうじて際限なく拡張している。世界中で造られているガラス張りの建築は、現代建築のシニシズムにこそふさわしい。あれらガラス張り建築は、高校であれ病院であれメディアセンターであれ、同一のテーマにもとづくヴァリエーションにほかならない。つまり透明性、中立性、画一性である。何を収容するかについて考慮することなく構想されたあれらの建物は、どれもこれもつかみどころがなく、重圧感をひたすら漂わせ、どこでもよかったがたまたまここに建てられたという印象を与える。われわれは、パリのラ・デファンス地区やリヨンのパール・ディユー地区といったオフィス街、リールのユーラリールと呼ばれる複合商業施設にある高層ビル群をどうすべきなのだろうか。ところで、そうした建築の行く末は「燃えるように新しい=真新しいflambant neuf」という表現のなかにみごとに集約されているだろう。一八七一年五月、蜂起した群集がパリ市庁舎を燃やす場面をあるスコットランド人旅行者が目撃する。彼は、炎と化した特異な力の壮麗さについてつぎのように証言している。「[……] これほど美しいものが存在するとはかつて想像したこともなかった。すばらしい。コミューンの人びとが恐ろしい悪党だということは私も否定しようとは思わない。だがなんと見事な芸術家か! そのうえ彼らは作品を創造しているとは思ってもいなかったのだ! [……] 私は地中海の紺碧の波に浸されたアマルフィの廃墟〔現在のイタリア南部、一八世紀にペストの大流行などで廃墟と化す〕やパンジャブ地方〔インドの旧州、現在はインドとパキスタンにまたがる〕にあるタンフール寺院の遺跡も見てきた。ローマも見たし、その他たくさんのものを見た。しかし昨夜目の当たりにした光景は、そのどれとも比べようがない」。

 たしかにメトロポリスの網の目には、都市の断片や田舎の残滓がいくらかは残っているだろう。だが活気にあふれているのは、むしろ流刑地と呼ばれるような地区である。逆説的に聞こえるだろうが、ひとが住めそうもないと思われている場所だけが、どうにか住むことのできる唯一の場所なのである。たとえば、次の引越しまでにさしあたり家具を配置し、インテリアにこだわるといっただけの高級マンションよりも、スクウォットされた古いバラックのほうが、人間が住んでいるという気配を漂わせているものである。スラム街は、多くの巨大都市にあって最後の活気ある場所、居心地のよい場所であるが、当然ながらもっとも消滅しやすい場所でもある。スラム街は、世界をおおうメトロポリスの電子的装飾の裏面にほかならない。パリの北部郊外にあるベッドタウンは、一戸建て住宅を求めるプチブルに見捨てられたが、大量失業によってふたたび入居者が増加し、息を吹きかえした。そこで口々に語られる言葉、燃え上がる炎は、カルチエ・ラタンよりも強烈な光を放っている。
 二〇〇五年一一月のパリ郊外の火は、くり返し言われたように、極度の剥奪状態から生じたのではない。逆に、その領土を十分に把握していたからこそ、あれほどの炎を生み出すことができたのである。ひとはうんざりして車を燃やすこともできるが、一カ月にわたって暴動を拡大させ、警察がしくじり続けるようにするためには、あらかじめ自己組織化されていなければならないし、確実な共謀関係によって結ばれていなくてはならない。さらにはその土地を熟知し、言葉を共有し、共通の敵を認識する必要がある。空間的、時間的な遠さが、炎の拡大を妨げることはなかった。誰も予期しない時間と場所で、はじめの炎に応えるべく、新たな炎が次々と燃え上がったのである。うわさを盗聴することはできない。
 メトロポリスとは、低強度の紛争がたえまなく続く場である。近年ではイラク南部のバスラ、ソマリアの首都モガディシュ、パレスチナのナプルスにおいてその緊張は最高度に達した3。軍隊にとっては、長いあいだ都市とは回避すべき場であり、最悪の場合でも軍は都市を包囲するだけだった。ところが、メトロポリスは戦争と完全に両立する。それどころか、たえず再編されていくメトロポリスにおいて、武力衝突は、その再編の任意の瞬間にすぎない。強国が推し進める戦争は、メトロポリスのブラック・ホールで果てしなくくり返される警察の仕事ぶりと似てきている――「たとえそれがブルキナファソであれ、サウス・ブロンクスであれ、釜ヶ崎であれ、チアパスであれ、クールヌーヴであれ」4。「軍事介入」は、勝利を目的として秩序や平和を回復するために行なわれるというよりも、これまですでに為されてきた治安強化をいっそう徹底化することをめざす。戦争はもはや時間によって区切られるものではない。戦争とは、軍と警察が治安強化のためにたて続けに遂行する一連の小規模作戦であり、一時も止むことのない波状攻撃なのである。
 警察と軍はあらゆる点で同調するようになった。ある犯罪学者によれば、機動隊は機動力を高めるために専門化された小部隊へと改編すべきだという。軍事機関はこれまで、規律訓練のための方法論を生み出してきたが、いまや、その序列的なあり方を見直しはじめている。NATO軍のある将校は、みずからが率いる先鋭部隊に対して「参加型メソッド」を適用している。その方法とは「部隊の各人が、作戦のための分析、準備、実行、評価すべてに参加しなければならない。プランは、訓練をかさね、最新の情報を参照するなかで何日にもわたってくり返し議論される [……] 共同作業によって練り上げられるこのプランは、参加意識とモチベーションを高めるのに最適である」。
 軍事力はメトロポリスに対して用いられるだけではなく、メトロポリスを創り出すものでもある。たとえば、イスラエル兵士たちはナプルスの戦闘以後、インテリアデザイナーへと変貌した。パレスチナゲリラが出没する道路はあまりに危険であるため、道路をあきらめざるをえなかったイスラエル兵は、建造物が立ち並ぶ都市のただなかに垂直かつ水平に突入することを覚えた。彼らは壁や天井をぶち抜いたのである。大学で哲学を学んだというイスラエル防衛軍のある将校はこう説明する。「敵は古典的かつ伝統的なやり方で空間を捉えている。私は、敵の解釈を受け入れて、わざわざ罠にはまるような真似はしない[……] 敵の不意を突くこと! これこそ戦争の本質である。私は勝利しなければならない[……]こう考えて、私が選んだのは壁を横切るという方法論である。行く手にある物を食べながら進むミミズのごとく、というわけだ」。都会的なものは対立の舞台である以上に、そのための手段である。ここで蜂起集団に向けられたブランキの訓えを想起しなければならない。ブランキはパリの未来の叛徒たちにこう勧めたのだった。いわく、陣地を防衛するために、家々を囲むように街路にバリケードを張りめぐらせ、家々の壁を貫通させて通り抜けられるようにせよ。一階の階段を取り壊し、天井に穴をあけて予期せぬ襲撃にそなえて、ドアをとりはらって窓をふさぎ、各階を銃撃ポイントにせよ、と。

 メトロポリスとは都会的なものの集積、都市と田舎の最終的な衝突というだけではなく、存在や事物のフローそのものである。つまりはひとつの流れであり、それは、光ファイバー、フランス高速道路、人工衛星や監視カメラといったものが織りなすネットワーク全体を貫き、一時も休むことなく、この世界をひたすら破滅へと突き進ませている。この流れは、万人をなんの希望もない可動性へと引きずり込もうとする。つまり万人を動員するのである。そこで人びとは、敵軍に奇襲されるように、大量の情報に襲撃される。そこでは走り続けることしかできず、地下鉄で列車をいくつかやり過ごすことができないほどに、待つことが困難になっている。
 移動やコミュニケーション手段の多様化によって、われわれはつねに他の場所にいたいという誘惑にかられ、ひたすらいまここから引き剥がされている。フランス高速鉄道やRER〔パリと郊外を連絡する首都圏高速交通網〕を頻繁に利用し、携帯電話でのおしゃべりをやめないのは、すでに向こうにいるためである。こうした可動性はその必然的な帰結として分離、孤立、流浪といった状態しかもたらさない。それゆえこの可動性が、モバイルなどというあのポータブルな内的世界、私的空間にとどまらないとすれば、誰にとっても耐えがたいものとなっていたはずである。私生活というバブルは弾けることなく漂いはじめた。マイホーム主義コクーニングは終焉したのではなく、まるごと移動しはじめたのである。駅やショッピングセンターであれ、投資銀行やホテルであれ、いたるところであの疎外感に出会う。この疎外感はあまりに日常的でありふれた感覚であるため、最後に残された馴染みの感覚となったほどである。メトロポリスの過剰を生み出しているのは、ある特定の環境のランダムな組み合わせである。したがってそれはいくらでも編成し直すことが可能である。メトロポリスの中心街と呼ばれる場所は、似たようなものとして現れるのではなく、さまざまなムードのオリジナルな組み合わせとして提供されるのである。そのなかを動き回るわれわれは、バーであれ人間であれデザインであれi-podのプレイリストであれ、自分のスタイルを選び、実存的ショッピングに合わせて選んだり捨てたりする。「mp3プレイヤーがあれば、おのれの世界の主人になれる」。周囲の画一的な環境を生き延びるために残された唯一の選択肢とは、みずからの内面世界をたえず再構築することである。それは、自分のまわりに同じような小屋をくり返し作って遊ぶ子供にも似ているし、無人島にいながら食料品店を開き、自分の世界を再生産しつづけるロビンソン・クルーソーにも似ている。彼と異なるのは、われわれがいる無人島とは文明そのものであり、われわれが群れをなしてその無人島に上陸しつづけているという点である。
 だがメトロポリスは、こうしてフローから構成されているからこそ、これまで存在したなかでもっとも脆弱な人類編成のひとつである。それは柔軟であり巧妙だろうが、脆いのである。たとえば疫病が猛威をふるい、国境が突然閉鎖されることもあるだろうし、食糧供給が断たれることもある。コミュニケーション装置の中枢に組織的な妨害が仕掛けられることもあるだろう。そうした場合、メトロポリスの装飾一面は粉々に砕け散り、そこに始終取り憑いてきた殺戮の光景を覆い隠すことはもはやできない。崩壊が間近に迫っているという意識にたえず苛まれているのでなければ、世界がこれほどめまぐるしく動くこともないだろう。
 メトロポリスがネットワーク構造をそなえ、接続や結節を支えるためのテクノロジカルなインフラを整備し、脱中心的に組織化されているのは、メトロポリスをその不可避的な機能不全から防衛するためである。インターネットは核攻撃にも耐えうるものでなければならない。メトロポリスの可動性を維持するために、人間や情報や商品のフローは恒常的にコントロールされなくてはならない。トラッキング・システムをとおして、商品の在庫切れを完全になくし、盗まれたチケットの流通をふせぎ、テロリストが飛行機に搭乗できないようにしなけねばならない。これらすべてを可能にしてくれるのが、IDチップ、生体認証パスポート、DNAファイルである。
 だが同時にメトロポリスは、自身を破壊するための手段も生産している。アメリカの治安対策の専門家によれば、イラク戦争での敗北の原因は、ゲリラ部隊が新しいコミュニケーション手段を利用することができたためである。アメリカのイラク侵攻は、デモクラシー以上にインターネットをもたらした。つまり、アメリカ軍はみずからを敗北に導く武器をも持ち込んだのであり、携帯電話の普及とネットのアクセスポイントの増加は、ゲリラ部隊に新たな自己組織化の手段を与え、攻撃から効果的に身を護る方法を提供したのである。  各ネットワークにはそれぞれの弱点がある。結節となる結び目を解くだけで、交通は停止し、張り巡らされたクモの巣はおのずと破れる。このことは、ヨーロッパで近ごろ発生した大停電からも明らかだろう5。ヨーロッパ大陸のかなりの部分を暗闇のなかに沈めるためには、一本の高圧線に何らかの障害が起こるだけでよいのである。メトロポリスのただなかに何かを生起させ、新たな可能性を切りひらくための最初のみぶりとは、その永続的なモビリティを止めることである。このことは、継電器を破壊したタイの蜂起集団がすでに気づいていたことだし、反CPE闘争のさいに大学を封鎖し、経済そのものを停止させようとした人びとも気づいていた6。さらに二〇〇二年一〇月、三〇〇人の解雇撤回を求めてストライキを打ったアメリカの港湾労働者たちも理解していただろう。彼らは一〇日間にわたり西海岸の主要な港を封鎖したのである。アメリカ経済はアジアからジャストインタイム方式の物流に大きく依存しており、港湾封鎖による損失は一日につき一〇億ユーロにのぼった。一万人もいれば、世界最大の経済大国を動揺させることができる。「専門家」によれば、この運動があと一カ月続いていたら、われわれは「アメリカの景気後退、東南アジア諸国の経済的悪夢」を目撃することになったのだという。


  1. マイクロソフト社の広告キャンペーン。

  2. 柱、梁、斜材などの木材を外部に露出させ、その間を石材、土壁、煉瓦などで埋める木造建築様式。

  3. 以下のような出来事が想定されているだろう。バスラでは二〇〇六年五月、当地に駐留していた英軍ヘリコプターをバスラ市民がミサイルで撃墜、救援に駆けつけた英軍部隊に対しても石や火炎瓶が投げられるなど、占領軍との激しい衝突がみられた。モガディシュでも一九九三年一〇月、同国に軍事介入していた米軍の戦闘用ヘリコプターがソマリア民兵により撃墜、多数の死者を出す激しい市街戦に発展した。ヨルダン川西岸ナプルスではイスラエル軍の占領以来、ガザ地区と並んで激しい民衆蜂起(インティファーダ)がたびたび勃発している。

  4. ブルキナファソは西アフリカの共和国、サウス・ブロンクスはニューヨーク市ブロンクス区南西部、釜ヶ崎は大阪府西成区、チアパスはメキシコ南東部の州、クールヌーヴはパリ北東部郊外。

  5. 二〇〇六年一一月四日夜、西ヨーロッパの一部が一時間ほど停電した。ドイツの高圧送電システムの故障が原因とされる。

  6. CPE=初回雇用契約。フランスの国会で二〇〇六年に発表された「若者の新しい雇い方」に関する政策で、二六歳以下の労働者を新たに雇用するさいに締結でき、締結すると最初の二年間は雇用者が理由を明示せずに解雇できる権利を雇用主に認めるというもの。大学生や高校生による大規模な闘争により撤回された。

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