2014年8月28日木曜日

文明の勝利には何ひとつ欠けたものはない。
恐怖政治も情動の貧困も。
普遍的な不毛も。
砂漠がこれ以上広がることはない。あらゆる場所が砂漠だからである。
ただし、それはなおも深化するかもしれない。
明らかなカタストロフを前にして、憤激する者たち、行動する者たち、
告発する者たち、そして自己組織化する者たちがいる。

不可視委員会は自己組織化する者たちの側にある。

 どう考えても現在に出口はない。このことは、現在というものにそなわった最高の美点である。是が非でも希望を見出そうとする者に、現在はいかなる手がかりも与えない。解決策を手に入れたと主張する者の欺瞞は、すぐさま明らかとなる。何もかも悪くなるばかりである、そのことに異論はない。時代は初代パンクスの「未来には未来がない」という意識のレベルにまで到達した。それはきわめてノーマルな時代の知恵なのである。

 政治代表制の領域は閉塞している。左から右まで、同じように中身のない連中が、大物を気取り、救済者を演じている。似たような顔ぶれが並び、マーケティングによる最新情報にもとづいて得意げに言葉を交わす。いまだ選挙に行く者たちは、純粋な抗議として投票することで、投票箱を爆破してやろうという意図しかないかのようにみえる。じっさい皆が気づき始めているように、ひとは投票自体に反して投票を続けているのである。そこで提起されるものは何ひとつ状況を反映していない。民衆を統治するためにくだらない口論をする操り人形のような政治家たちよりも、沈黙を守る民衆のほうがよほど分別をわきまえているし、われわれの指導者を自称する者よりも、ベルヴィル〔パリ北東部の移民街〕に住むチバーニ〔マグレブ系移民の長老〕のほうがずっと賢明な言葉を述べる。社会という鍋は密封されているが、内部の圧力は高まるばかりである。アルゼンチンから発せられた「みんな出ていけ!」1と叫ぶ亡霊がここフランスの支配階級にもとり憑きはじめている。

 二〇〇五年一一月に燃え広がった炎は、万人の意識のなかでなおもゆらめいている。あの歓喜に満ちた炎は、約束ばかり掲げたここ一〇年間に対する洗礼である。郊外対フランス共和国というメディア的寓話は、分かりやすいとしても真実を語っていない。炎は市街地でも発生したが、メディアはそれを徹底的に黙殺したのだった。バルセロナではあらゆる路上で連帯の炎が上がった。だがそれを知っていたのはバルセロナ市民のみである。また、フランスで火の手が止んだということも真実ではない。被疑者として拘束された者たちは、階級や人種、居住地区もまちまちだった。彼らに唯一共通していたのは、現行の社会に対する憎しみである。この出来事が前代未聞なのは、それが一九八〇年代にはすでに始まっていた「郊外の反乱」だったからではなく、そうした既存の反抗形式と訣別したからである。襲撃者たちは、年長の同胞であれ、正常状態への回帰を担う地域のアソシエーションであれ、もう誰の言うことも聞かない。「人種差別SOS」2が癌細胞のように介入しても無駄に終わるだろう。また、出来事が終息したように見えたとしても、たんに組織的疲労、歪曲報道、沈黙の掟オメルタが横行するメディアの吹聴でしかない。このときの一連の夜襲、匿名の攻撃、言葉なき破壊行為は政治(la politique)と政治的なもの(le politique)のあいだの裂け目を最大限にまで開いてみせた。少しでも誠実であれば、この明白な襲撃をありのままに理解することができるだろう。すなわち、この襲撃は政治を徹底的に斥け、いかなる政治的要求もメッセージも発することなく、ただ脅威のみを示したのである。「政治」などどうでもよかった。多少の分別さえあれば、その断固たる政治の拒否のうちには政治的なものが純然と存在していることを認めるだろう。そうでなければ、三〇年ぶりの若者の自律的オトノム運動について何ひとつ理解できないことになる。現行の社会には、血の一週間3ののちにパリに残されたモニュメントの残骸ほどの価値さえないし、社会自体がそれを知っている。そうした社会のなかで、ひとは道に迷った子供のように、眼前のがらくたを手当たり次第に燃やしたのである。

 現在の状況に社会的な解決などないだろう。なぜならまず、階層や制度や個人といったバブルの雑多な寄せ集めのことを、ひとは反語的に「社会」と呼ぶが、そこに実体など存在しないからであり、さらには、共通の経験を表現するための言語がもはや存在しないからである。言語を共有できなければ富を共有することもできない。たとえば、フランス革命を可能とするためには啓蒙の時代をとおして半世紀の闘争が必要であったし、労働をめぐる闘いによってあの恐るべき「福祉国家」が生み出されるには一世紀を必要とした。かつて闘争は、そのたびに新たな言語を創出してきたのであり、その言語によってはじめて新たな秩序を語ることもできたのである。だが今日、そのようなものは何もない。もはやヨーロッパ大陸の輝きは銀メッキのように剥落してしまった。それでもヨーロッパはディスカウント・ストア「リドル」でこそこそと買い物をし、さらなる旅をもとめてローコストの旅を続ける。社会的な言語で「問題」が語られるとき、それがどのようなものであれ、解決にいたることはない。社会的に語られるあの「年金」問題、「プレカリテ」の問題、「若者」と彼らの「暴力」の問題は、未解決のまま宙吊りにされるだけである。その間にも人びとは行動へと移行し、いわゆる「問題」として語られる以上の衝撃を生み出す。にもかかわらず、そうした行動は警察的に処理されてしまうのである。見捨てられた状態に甘んじている老人たちの下の世話を安値で引き受けるという事実をバラ色に描くことはできない。うわべをとりつくろうだけの生活に対して、犯罪手段に訴えたほうが屈辱的でもないし実入りも多いということに気づいた者は、手に入れた武器を手放さないだろうし、投獄されたところで社会への愛が植えつけられることもないだろう。さかんに享楽を追い求める年金受給者の群れは、月々の年金が大幅に削減されていくのを黙って見てはいないだろうが、彼らは多くの若者が労働を拒否する光景を前に、激しい苛立ちをつのらせるほかはない。それなりに大規模な叛乱が生じて、そののちに何らかの保障所得が獲得されたとしても、それは新たなニューディールの基盤とはならないし、社会契約や社会平和を新たに築くことにもならない。そのためには、社会的感情があまりに希薄になってしまっているのである。  以上のような状況を解決するための措置として、何事も起きないようにするための圧力が増大し、全土をおおう警察の警備がますます強化されている。警察自身が認めているように、昨年二〇〇六年七月一四日の革命記念日にパリ近郊セーヌ=サン=ドニ県4の上空をドローン〔偵察・監視用の自動操縦小型航空機〕が飛行した。このことは、人道主義者たちの漠然とした物言いよりもはるかに鮮明な未来を描き出している。警察はドローンが武装されていなかったと念を押す。だがそのこと自体、われわれが乗り入れてしまった道をはっきりと示している。領土は、それぞれ完全に分断されたゾーンへとさらに切り分けられていくだろう。「問題のある地区」をふちどる高速道路は見えない壁となり、その地区を一戸建て住宅の並ぶ地域から完全に分離している。善良な共和国市民がどう考えようとも、「コミュニティごとに」区域をコントロールすることはもっとも効率的な処置として知られているのである。他方、完全にメトロポリス的な領土や主要な中心街は、洗練と狡猾さの度合いをさらに高める大がかりな脱構築のくり返しのなかで、贅沢な生活を送っていくだろう。そして、フランス警察犯罪対策班(BAC)5や民間セキュリティ会社、つまりは非正規軍によるパトロール隊がいっそう恥知らずになる司法の庇護のもとで際限なく増加していくあいだ、売春宿のごときけばけばしい光が惑星全土を照らし出すだろう。

 現在の袋小路はいたるところで感知され、いたるところで否認されている。これほど多くの心理学者や社会学者、文学者たちが時代の状況に専心することは今後決してないだろう。にもかかわらず、彼らは専門用語ジャーゴンを口にするばかりで、ことさら結論を欠いている。だが、共存がもうすぐ終わり、決断をくだすときが近いということを理解するためには、時代の歌を聴くだけで十分である。期の利いたふうな「ヌーヴェル・シャンソン」では、プチブルが自身の精神状態をこと細かに分析してみせる。その一方でヒップホップグループのマフィア・カン・フリ6は宣戦布告しているのである。

 この本には架空の集団名が付されている。編纂者たちは作者ではない。ただたんにこの時代のありふれた考え、バーのテーブルや閉ざされた寝室でのささやきを多少整理したにすぎない。つまりは必然的な真理を書きとめただけであるが、というのもそうした真理の全面的な抑圧が、精神病院を患者であふれさせ、人びとのまなざしを苦しみで満たしているのである。編纂者たちは状況を書きしるす代筆者となった。根源的な状況にあることの特権とは、その状況を正確に把握すれば、必然的な成り行きとして革命に行きつくということである。したがって、われわれの眼前に何があるかを述べ、結論を回避しなければそれで十分である。


  1. とりわけ一九九〇年代初頭から強力な新自由主義政策を進めてきたアルゼンチンで、二〇〇一年一二月に経済危機と外貨流出による通貨危機が表面化すると、「(政治家は)みんな出ていけ! Que se vayan todos!」をスローガンに全土で民衆蜂起が起こった。住民評議会(アサンブレア)等、住民による自律的実践がなされる。

  2. 一九八四年にフランスで創設された反人種差別アソシエーション。

  3. パリ・コミューンは一八七一年三月一八日から五月二八日までパリに存続した労働者の革命政府。広義にはそれを生みだしたパリ市民の蜂起・運動の全体を指す。三月八日、国防政府との衝突からパリで民衆による自然発生的な蜂起が起こり、政府をヴェルサイユに放逐、二六日にコミューン議会の選挙が実施され、二八日に市庁舎でコミューン樹立の宣言が発せられる。五月二一日、コミューン弾圧のためにパリに突入した政府軍とのあいだで「血の一週間」と呼ばれる凄惨な市街戦が起こり、二八日にコミューンは崩壊した。二万五〇〇〇人余りの市民が虐殺されたと推定されるこの戦いで、民衆はバリケードを築き、公共の建物に火を放つなどして最後まで抵抗した。

  4. セーヌ=サン=ドニ県の都市クリシー=ス=ボアにおいて、二〇〇五年一〇月二七日夜、警官に追跡された北アフリカ系若者三名が変電所に逃げ込み二名が感電死、一名が負傷する。この事件がいわゆるフランス郊外暴動のきっかけとなった。

  5. フランス警察犯罪対策班(Brigade anticriminalité)はフランス国家警察の警備局管轄。

  6. マフィア・カン・フリ(Mafia K’1 Fry)は一九九五年に結成されたパリ郊外ヴァル=ド=マルヌ県出身のヒップホップ・コレクティヴ。一〇名以上のラッパー、DJ、グラフィティ・ぺインターなどから構成される。ここで念頭におかれている曲は « Guerre »(二〇〇七年Jusqu’à la mort収録)だろう。